いつも温かい応援をありがとうございます🙏
2023年は、2月22日 #にゃーの日 開催のライブ準備に始まり、
の5本のライブを主催・出演することができました。
2月22日のライブ準備は2022年の8月から、9月から始めたG.佐藤晃氏との新たな試みのユニットライブの企画開始は5月から、
と、DIYアーティストな私は、書類作成、渉外、営業、etc... と曲づくり以外の作業も多く、多忙を極めましたが、1公演づつ、確実に進化を実感することができ、おかげさまで非常に充実した1年を過ごすことができました🙏
ご来場頂いた皆さま、気にかけてくださった皆さま、力強いサポートをくださった皆さまあらためて感謝申し上げます🙇♀️
今年も1音1音、1公演1公演を大切に、心の動く気持ちの良い音を届けていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします🙇♀️
そんな慌ただしい2023年でしたが、合間で撮ったスナップを振り返りとしてご紹介します。
この映像が撮影された1988年、
私は "日本のヴァージンレコード" を目指し、ひとくせあるバンドをプロモートしていた事務所社長の元、黎明期のインディーズ音楽シーンで奮闘していたのですが、活動フィールドは異なるものの、“メジャー” なシーンにおいて、「それまでの日本の音楽シーンにはなかったもの」をチーム全員で創出しようと奮闘しておられる姿に、それぞれのフィールドで、それぞれが高い熱量を持って「それまでになかった音楽世界」を目指して懸命に動いていた時代だったのだな、活動フィールド&ジャンルは違えども、皆同じ気持ちの中にいて懸命に走っていたのだな、と、あらためて”あの頃”を捉えなおすことできました。
撮影から30年
構想8年
制作5年
と数字を並べるだけでも、ただ事ではないことが起こった感満載ですが、
・55,000人の観客を収容した3時間を超える野外ライブをフィルムカメラ13台を駆使して撮影
・フィルムカメラは1ロール11分しか録画できないので、ライブ本番中にフィルム交換を行いつつ撮影
・当時のファインダーでは撮っているものは見えてない=現場では何が撮れているかわからない=カメラマンの力量だけで撮ってる!!
・30年ぶりに蔵出しされたフィルムネガをクリーニング(作業時間:2ヶ月)
・24コマ/1秒を1コマづつ手作業で4Kスキャン × カメラ13台分 (作業時間:1年以上)
・音声のないフィルム映像とマルチテープの音を目視で合わせる(作業時間:2ヶ月)
と具体的な作業内容を確認するだけでも、どれほどの作業量と熱量で完成した映像作品か、わかるというものです。
ともかく”この映画を完成させん”とする板谷監督の集中力と熱量に脱帽します。
この映画(ライブ)を拝見して、まず度肝を抜かれたのはやはり強大なイントレで、
「1988年という時点で、すでにこの規模の野外コンサートが1アーティストの公演として、ノースポンサードで、日本でやれていたのだ!」という事実は、ジャンルや音の好みに限らず、音楽制作に関わるものとして知っておくべき”音楽史”だなと強く感じました。
機会があれば是非観て頂きたい音楽映画です。
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新春のお喜び申し上げます
旧年中は大変お世話になり誠にありがとうございました
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします
本年も何卒よろしくお願い申し上げます
また元日の能登半島地震、羽田空港での事故によりお亡くなりになられた方々に心よりお悔やみ申し上げるとともに、
被災された皆さまに慎んでお見舞い申し上げます。
1日でも早い復旧と穏やかな日常が戻りますことを心よりお祈りいたします。
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]]>2月22日のライブ開催を無事に終え、早くも2ケ月が経過。。。
ご来場頂いた皆さま、ご来場が叶わずとも応援くださった皆さま、
本当にありがとうございました。
ご来場のお客様からは、
「初めて体験した世界観で素晴らしかった、もっとライブに通いたい」
という嬉しいご感想や、
昨今の「”バンドで音を出す昨今の状況の難しさ" に負けず!音楽を続けている大人の皆さんに勇気付けられた」というお声に、
私自身が大変励まされました。
明日につながる一歩が踏み出せたライブになったと思います。
「もっともっとたくさん歌ってね」「大変だと思うけどバンド続けてね」というご期待に添えるよう、更に精進して参ります。
支えてくださったミュージシャン&スタッフの皆さま、あらためて感謝申し上げます。
さて私は、ライブ終了翌日よりこんこんと進めていた精算作業がようやくひと段落し、
録音していた2/22ライブ当日の音のチェックを行っています。
なんらかの形で皆さまにご紹介できるかな?と思っていますので楽しみにお待ちください。
今回のライブは会場選びから日程の決定、ミュージシャン&スタッフの交渉・選定、チケット発売の手続きや販売までの段取り、フライヤーのデザイン、チケットのデザイン、プロモーションや、リハの日程調整からお弁当の手配まで、ともかくやることが盛り沢山!な自主企画で行いました。
余裕のある日程を組んではいたものの、
「自主企画でライブを開催する方法」みたいなハウツー本が書けるのではなかろうか(笑)
と思ってしまうぐらいの作業量で、本番直前には周りの皆さんに大変助けられました。
寝る間を惜しんでいろいろ作業を行っていると「私はなんでこんなに手間のかかることをやっているのだろう?」と自問自答していたりしていたのですが(笑)、そこでふと、
「私の学生時代って、そもそもライブハウスってなかったから、そもそも自主企画のライブしかやってきていないんだわ!」という事実に今更ながら気づかされました(爆)
1970年代、東京で始まったライブハウスは、私が育った九州では、福岡では1985年、熊本では1987年にならないと出現しなかったのですね。
なので、高校時代の初ライブも卒業ライブも、所属していた劇団の定期公演も、
所属した福岡の音楽事務所も、やっていたのは、PAの手配やチケットの発券管理まで自分たちで行う自主企画だったなー、なんてことをいろいろ思い出してきて、
私はつくづく”Theaterの出身”なのだなー、
今回図らずも「Theater」を会場名にもつ「GEMINI Theater」さんでライブを行ったことに、
巡り合わせ的なものを感じてしまいました。
決して、自主企画しかやらない!とかいう訳ではなく(笑)
イベントやフェス、などなどおよばれ大歓迎ですので、是非是非お声かけください。
録画から抜いたとって出し写真↓
私も共同制作者の内藤さんもライブ終了翌日より別のWORKに入ってしまっているので、
もうひと段落すると他の写真もご紹介できるかもです🙇♀️
2/22当日のセットリストは私のオフィシャルサイトにてご紹介しておりますのでご参照ください。
▷ Natsuki Official Website
http://www.darshan13.org/index.html
Facebook, Twitter, Inatagram等、各種SNSにて既に告知開始しておりますが、
1964年に出版されたオノ・ヨーコさんの詩集『グレープフルーツ』を題材にした短編映画に
オノ・ヨーコさん役で出演しています。
すでにプロモーションが進んでいますので、こちらの情報は別途まとめてご紹介いたしますね。
役作り、という事でもないですが、
この度の映画出演にあたり、元々持っていた本に加えて、新たに本やビデオを購入し、
約半年間、どっぷり読み込みました。
映画の進捗情報と合わせて、ヨーコさんの本についてもご紹介していきますね、
映画の監督である MikeさんのYoutube Channelにてトレーラー公開中です。
念願のジョン・コクトーの映画を観てきました。
「鏡の中に入っていくという描写に水を使ったアイディアが素晴らしい」的な評論文はよく読んでいたものの、
映画を実際に観れる機会がなかったのでようやく!な感じ。
鏡の表現は勿論、アナログ(人力)で想像の空間も表現するがゆえに、よりシュールかつ幻想的なっているのがすごいですね!
何でもできちゃう昨今のCGでの表現が霞んでしまうほどでした。
寺山(修司)さんちっくな表現が所々でてくるので、影響受けていらっしゃるのかな?と思って調べてみたら、
やはり、影響を受けた映画にコクトーの名前をあげておられる寺山さんの記述がありました。
<追記 2023.5.21>
すみませぬ! いろいろと訂正があります!!!
80s Factoryのことをすっかり失念しておりました!!!
私的には「80s Factory」は「80s Factory」であって、
80s Factory=ライブハウスという観念がなかった、、、
カテゴリー的にはライブハウスとされているようです。
80s Factoryの営業期間は1979年8月〜1982年3月
なので、残念ながら私はリアルタイムで体験しておらず、
様々な逸話を諸先輩方より聞かされておりました。
地元なので福岡音楽史は体系的に把握はしているものの
テキスト化する時は年号とかきちんと確認しないといけないですね😓
そしてそして
熊本でのライブハウス第一号は、
私が所属していた劇団の稽古場である「ライブハウス夢桟敷」(1984年11月オープン)でした!
稽古場と並行してライブハウス営業を行っていたので、
私もジュース配りとかやっていたのですよね。すっかり忘れとった😅
東京で劇団を主宰していた山南さんご夫妻が、帰熊にともなってオープンしたライブハウスなので、
東京のライブハウス文化の雰囲気を一番反映していた場所かもしれません。
劇団が運営しているライブハウスだけあって、
開店時には原マスミさんのライブ(何故だかライブの翌日一緒にケーキを食べに行った)や、熊本映画祭のレセプションが開催されたり(ここで伊武雅刀さんや相米監督にお会いした)、
などなど、ユニークな企画が多く開催され、
劇団に正式に所属した後は、ライブ開催時のジュース配りを手伝っていたので、地元のミュージシャンの方々との出会いの場所もここでした。
残念ながらライブハウス営業は2年ほど(?)で終了し稽古場は移転、
お店で使用されていたライブハウスの機材は、福岡のライブハウス、徒楽夢さんに引き取られていきました。
JUGEMテーマ:音楽
]]>またまたご無沙汰の更新になりました🙇♀️
私は音楽活動やディレクション活動と並行して
年功序列制が残る中で社会に出て、リアルに24時間戦っていた世代(笑)、かつ
働いている期間中がまるまる失われた30年、というなかなか切ない年代(涙)でもあるので、
これまでも抱える仕事は山のようにあるのに「コストカット」という一言だけで泣く泣く退社せざるを得ない (そもそも経営不振の責任は経営陣にあるのにね)
などの理不尽はいろいろ経験してきました。が!
今回の理不尽は特にひどくて、怒るのも悲しむのも通り越して呆れ、、、
音楽ブログなので、詳細は割愛しますが私が政治家の無駄遣いや社会の理不尽に、やいのやいのとうるさく言うのは、
皆が豊かでいられることに対して我々は敏感であるべきなのじゃないかな?と思うからです。
それにしても、
せっかく軌道に乗ってきていた音楽制作の時間の全てを
とブチ切れつつ、
予定していたイーノ展を観に行ったり
予定していた母をもてなす親孝行旅行が入ったり
と、
慌ただしく日程をこなし、
なんとか無事に平時に戻せつつあります。
ロスしてしまった時間は取り返せませんが、
あらためて仕掛かり作業に取り掛かりながら、
水面下ではいくつか企画が進んでいるので、 公表できるタイミングで都度お知らせします。
8月ともなると、少しづつ秋の気配を感じはじめる頃ですが、
まだまだ酷暑ですから、皆さまお体ご自愛くださいね。
JUGEMテーマ:音楽
]]>
長い長ーい緊急事態宣言がようやく解除されましたね。
コロナ禍の影響はライブやイベントができないだけでなく、様々なところに現れて、なかなかに緊張感が緩まない日々が続いておりました。
そんな静かなる激動期のさなかに自宅の引越しなどが重なり、一年ぶりの投稿になりましたが、皆さんお変わりなくお過ごしですか?
CD、レコード、本、ビデオなどの音楽資料、各種制作で使った資料、衣装、機材などなど、ともかく所持品の量が多いので、大変だった引越しの片付けもひと段落、しばらく執筆が止まっていたnoteを更新しました。
▼note
【影響を受けたアーティスト | DAY5】
DAY5は「一風堂」について書いてみました。テーマのアーティストは企画当初から出揃っているのですが、資料を引き引き書いていると、時間がかかる分、思わぬ発見も多く、私にとっても大変有意義な時間となっています。
1本を書き上げるにはそれなりの時間がかかるので、ゆっくりめの更新になりますが、引き続きお楽しみいただけると幸いです。
現在は、
機材のセッティングをしながら楽曲の制作を行っている
もしくは
制作の体制も少しづつ整いつつありますので、年内には何かしらのアナウンスができれば良いなーと思っています。
まだまだ油断のならない状況が続いていますので、
皆さまお身体ご自愛くださいね。
上手に気分転換しながら、乗り切っていきましょう。
写真は旧宅にて。
天井が高い純和風な空間は狭いながらもなかなか快適でした。
お世話になりました。
「ストーンズのあの独特のノリの秘密は、
チャーリーがキースのギターを聴きながら、ほんの少しだけスネアのタイミングを遅らせる事で、ギターを前のめりに聞こえさせてる=すなわちRollさせてるから!」というのを別所に書いたのですが、
この Scorsese 監督の映画『Shine a Light』の Charlieカメラを見ると、チャーリーのハットはキースのカッティングにぴったり寄り添ってますよね。
ここまでぴったりと寄り添ってくれていたら、キースはチャーリーを手放せないし、
なおかつチャーリーが、バンド全体を見ながらスネアのタイミングを図っている事がはっきりと見て取れて、
バンドのグルーブをコントロールしているのはまさしくチャーリーであることがよくわかります。
あらためてRIP Charlie。本当に大きな損失ですね。。。
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前回の投稿から半年がすぎましたが、まさか世界中が <コロナ禍> という100年に一度の事態に見舞われるとは思ってもみなかったですよね。
イベントの開催可否を決定しなければならなかったので、早くから感染の経緯を見守っていたのですが、
と、昨年から準備〜年初に計画していた様相とは随分と変わってしまいました。
感染拡大に伴って3月下旬から完全在宅ワークになりまして、 幼少の頃は実は病弱だった事もあって、インドアな生活は全然苦痛ではないので、 それぞれの現場で奮闘されておられる方々にしみじみと感謝をしつつ、ご負担にならないよう、家で大人しく過ごしています。
ずっと家に居るので、曲づくりや書類作成に加えて、台所に立つ時間が長くなったり、部屋を片付けたり、Macの中身を整理したり、と 案外と忙しく、 トレーニングは続けているものの、自宅は声を出すのが難しいシチュエーションなので、どうしたものかなぁと思っているところです。
そんな自粛期間中に進んだいろいろを、まとめてご紹介していきますね。
2月7日に開催された紀伊国屋書店新宿本店さんでの『ONE SKY』発売記念イベントの際、お話しした内容が好評だったとの事で、ジャパンハートさんのご依頼を受けて、書き下ろしました。●ジャパンハート活動レポートに『ONE SKY』制作秘話が掲載されました。
Vol.1 → https://www.japanheart.org/reports/reports-japan/200311.html
Vol.2 → https://www.japanheart.org/reports/reports-japan/200311.html
吉岡先生の核心をついた言葉と美の瞬間を捉えた内藤さんの写真は、 この混迷の時代、一条の光になり得るのでは、と思っています。
●note始めました【Challenge】影響を受けたアーティスト編|Natsuki #note
コロナ禍での緊急事態宣言中、アルバムカバーのチャレンジ企画(=自分の好きな/影響を受けた音盤のカバージャケットを1日1枚紹介するという企画)が、面白そうだったので、説明をつける、バトンは渡さないなど、勝手にルール改変してFacebookに投稿してしていたのですが、見づらくなってきたので、noteにお引っ越しさせる事にしました。
使いやすくなったnoteはスイスイ書けるので、「影響を受けたアーティスト編」に続いて「好きなボーカリスト編」とか、いろいろ広げてみようかと思っています。
●『蓮蕾 (Malhar Mix)』44ストアに配信拡大!
配信ストア一覧 → https://linkco.re/VpGrMn1n
Spotifyにて先行配信していたCD『Topaz』収録曲、『蓮蕾 -Renrai-』の別ヴァージョン「Marhal Mix(マルハールMix)」の配信を44ストアに拡大しました。お好きなストアでお聴きください。
●「The World Famous Mike Rogers Show」のエンディングテーマとして『Topaz』オンエア開始!
「The World Famous Mike Rogers Show」オンエア時間(JST)#note
日本のインディーズロックを世界に紹介するマルチメディアプロデューサー、マイク・ロジャーズさんがMCを務めるラジオ番組「The World Famous Mike Rogers Show」のエンディングテーマとして、Natsuki 2ndシングル『Topaz』のタイトル曲『Topaz』が、絶賛オンエア中です。
日本での放送時間を note(上記URL)にまとめましたので是非ご活用ください。
●[福岡]六本松蔦屋書店にてCD『Topaz』販売開始!Facebook Page | Natsuki no heya
福岡県外の方には少しご負担をおかけしますが、欲しかったあのCDこのCDと一緒にご購入頂いたり、お友達同士でご一緒にご購入頂けるとありがたいです。ご足労おかけします。
さて、自粛期間の大掃除中、懐かしいものを発見しました。
800〜1000人キャパの今で言う中規模ライブハウスは、当時福岡には存在しておらず、250〜300名キャパのライブハウスから次は2,000名のホールになってしまうため、800名クラスのイベントの場合、ももちパレスのような公共の会場を使わせてもらう事になるのですが、
今でこそ市民権を得たロックのイベントは当たり前に開催されていますが、当時は「音楽の街」をうたう福岡でさえも、バンドマンはバイト探しが難しかったり、なかなか会場を貸してもらえなかったりと、まだまだロックへの風当たりは強かったので、
会場使用の申込みに行った際、演奏される音楽ジャンルに「ポップス」と書き(実際はパンクバンド含むロック・笑)、
1985年あたりから始まったと思われる、ライブハウスからメジャーレーベルへ、という流れの最後の時期だったのかな。
ありがたい事に、スピッツメンバーさんはこのイベントの事を覚えてくださっていて、ご縁あって私自身が、間接的にではありますが今スピッツさんに関わらせて頂いていて、スピッツ好きの社長の念が後押ししてくれているのかな、としみじみと思ったりしています。
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嵐のように忙しかった2019年が過ぎ、このところようやく色々ひと段落してきて、自分的に大変重要な人達がたくさん来日してくれた2019年の楽しい音楽の思い出を書こうかしらと、ぼんやりしたプランを思い浮かべていた矢先に飛び込んできたアンディさんの訃報。。。
https://www.facebook.com/natsukinoheya/posts/28728777861022432019年10月に最高のパフォーマンスを拝見して、お会いしてお話したばっかりなのに!!!夜中の作業中に流れてきたタイムラインでは何が起こったのか訳がわからず動揺。。。何かを書かずにはおれず、想いをここにしたためてみることにしました(涙)
大昔の事なのでかなり曖昧ですが、中学生の頃、アルバム3曲をアーティスト特集的に紹介するFM番組があって、そこで紹介されたのが、Gnag of Fourを知るきっかけだった、と記憶しています。
実際に彼等のCDを買えるようになったのは、大人になってから。
はじめてライブを観れたのは、2012年の来日の時でしたが、
リズム&ギター&ボーカル、歌詞もサウンドもパフォーマンスも全てがパーフェクトで、私にとっては "音の拠り所" のようなバンドでした。
↓今観てもしびれる。Andyさん、Thomasさん、Johnさん、Markさん、全員格好良い!!!
年始早々の遠藤ミチローさんの訃報から、U2の入場待ちの時に届いた中村哲さんの訃報、、、とまだまだ心の整理がつかない中、
Andyさんが逝ってしまわれるなんて、本当につらすぎる。悲しすぎる。
離れていてもそのうち会えるよねー、というのと
もう二度と会えない、というのは、
当たり前だけど、心の持ちようが全然違うから。
大人だから、悲しい事があっても、やるべき事をやって前に進むけれど、
悲しいし、切ないし、寂寥たる思いが広がります(涙)
2011年1月リリースのアルバム『Content』から「♪You'll Never Pay For The Farm」
こんな時代だからこそ、この曲だけでなく彼等の歌詞をあらためて読み返したい。
日本のライブハウスの清潔さにとっても驚いていたアンディさん。
どうぞ安らかに。
#GangOfFour
#andygill
#postpunk
Andy Gill(アンディ・ギル):1977年 英国・リーズで結成されたポストパンクバンド Gang of Four(ギャング・オブ・フォー)のギタリスト&ファウンダー。ソリッドで切れ味鋭いギターと尖ったサウンドは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやR.E.Mのマイケル・スタイプら、後進のミュージシャンに多くの影響を与えている。
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長らくお待たせしました!
Natsuki 2nd CD Single『Topaz』いよいよ5月29日にリリースです。
ちょっぴりお得な先行予約はこちら。期間限定です。
アカウントをお持ちでない方は、Spotifyのページが開きます。
配信曲『蓮蕾 -Renrai- (Malhar Mix)』は
叙情的でダイナミックな演奏により国内外で高い評価を受けるバーンスリー(インドの竹の横笛)奏者、寺原太郎氏による雨のラーガを大胆にフィーチャーし、Natsuki独自のサイケデリックな世界観を描いています。
1stシングルからの強力布陣、熊倉隆氏(Dr)、野間口浩氏(B)、Morgan Fisher氏(Synthsiser)に加え、
いまみちIMASAともたか氏 (G)による多彩なギターサウンドも必聴!
2nd Singleの収録ヴァージョンとは異なる、配信限定のMixです。(Spotify楽曲紹介ページより引用)
という訳で、華麗なバーンスリーを吹いてくださった、寺原太郎さんです!
※注:私タンプーラという楽器を抱えていますが、
『蓮蕾』の中でタンプーラを弾いているのは私じゃなくて太郎さんです!
Malhar(マルハール)とはインド古典音楽において雨を表す古いラーガ(旋法)の事で、
この曲はインドの方が聴かれても「おお!雨が降っておるよ!」と感じる事ができるという、なかなかすごい曲になっています。
太郎さんは本当に優雅にするすると吹いていらっしゃるけれど、古典音楽のロジックを西洋音楽(我々はロック畑の人間ですが)のフィールドで展開させるのは、なかなかものすごい事なのです!
また、1st Singleの『Manna』に続いてご協力頂いたエンジニアの山内さんの録音技術がまた素晴らしくて、
山内さんがセッティングしたマイクを通して聴こえてくる太郎さんの深遠な演奏は、Mix Roomにいた全員が息をのむ程でした。
転がり続ける熊倉さんのドラム、ドライブする野間口さんのベースは狙い通り!
きらきらと輝きを放ちながらもガツンと攻めてくる、いままみちさんのギターは流石!ですし、
さりげなく、でも確実に英国の香りを漂わせてくれるモーガンさんのシンセサイザーも秀逸です。
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]]>昨年2018年のバングラディシュミッション終了後、各所へのご報告やUNHCRへ提供する写真のディレクションと併行して2ndシングルの制作がスタートし、年明けにようやく録りものが完了しました。現在マスタリング中で、ようやくゴールが見えてきだしたところです。
そんな訳で、長らくのご無沙汰となってしまいました。
あらためまして、皆様あけましておめでとうございます。
理不尽な事ばかりが続き全く腹立たしい世の中ですが、気持ちだけは明るく、平穏な心で行きたいものですね。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、私のプロフィール(その1)です。
こちらがサイト等で紹介している、公式のプロフィールなのですが、
11月28日鹿児島生まれ。福岡・熊本で育つ。中学時代に見た、KATE BUSH のパフォーマンスに触発され、高校在学中より、熊本の劇団に所属。舞踏やマイムを取り混ぜた前衛的な舞台の他、TV・Radio出演、美術家とのコラボレーション制作やバレエ団との共演等、精力的な活動を行う。 同時期よりドラマーとして最初のバンド活動をスタートし、高校卒業後は、福岡の音楽事務所に所属し本格的にボーカリストとしての活動を開始。関東・関西へのツアー等、積極的な活動を行う。 事務所閉鎖後は福岡にてマイペースな活動を行い、2003年上京。英国音楽好き。
書こうと思えば色々と書けるのですが、音を聴いてもらう前になんらかの先入観を与えてしまうのはどうかなーと思い、削って削ってこの形にしたものの、せっかくのこの場なので、Wikipediaに載せたらおもしろそうなネタ?も織り交ぜつつ、少々細かく書いてみようと思います。
・11月28日生まれ。大貫妙子さん、原田知世さん、あべ静江さんと同じお誕生日です。
・鹿児島生まれではあるのですが、生まれた”だけ” で、鹿児島での記憶は全くありません。生まれて間もなく福岡に引越し、小学校の途中で熊本に引越し、高校卒業後に福岡に引越しました。結果福岡暮らしが一番長いです。
・母によると、生まれる前は東京の国立在住だったとの事。
・幼少期の福岡では山笠の終着点である福岡市博多区奈良屋町(知る人ぞ知るぱわあはうすの近所でもあります)と、多夢というライブハウス (シナロケがデビューライブを行ったところ) があった福岡市西区田島(現・城南区)に住んでいました。父は若松、母は熊本出身の、がっつり九州の血筋であります。
奈良屋町の家では2階の窓から転げ出て(赤ん坊は頭が重いからね)、洗濯中に屋根の上を転がる私を見つけた母が、間一髪、転げ落ちた先で私を受け止めて一命をとりとめたり、とか、
究極的な運動音痴&びびりだったので、体育(肋木)の時間に「これはムリ」と判断して静かにその場から退出し、自宅に帰っちゃったり、とか、マイペースなのは子供の時からのようです。
多方、作文コンクール、感想文コンクール、作曲コンクール、絵画コンクールなどではちょこちょこ入賞したりして、当時から得手不得手がはっきりしてますね(笑)
熊本へ引っ越さず、そのまま福岡で暮らしていたら、多夢の近所でもありますし、間違いなくラバーソウル+ミニスカートのビート女子になっていたでしょうから(笑)、学童期から青年期を熊本で過ごしたというのは、その後の音楽等の嗜好性を形成する上で非常に重要であったように思います。
小学校高学年になった途端、父が漫画&TV禁止令を敷いた事がきっかけでラジオっ子になり、ラジオが英国ロックと小泉文夫先生のフィールドワーク音源=世界の民族音楽との出会いを生んで、”レコード店へ行くため”に、街の進学塾に通うような、音楽一辺倒の生活になりました。
大貫憲章さんのライナーにも描写されている通り、ケイト・ブッシュやデビッド・ボウイに触れた事で <ミュージシャンはパントマイムができなくてはいけない> と大いに勘違いし(笑)、高校入学から程なくして、劇団に所属。人前で本格的に表現活動を行う第一歩を踏み出します。
前例がなかったので入団の時にはかなりのすったもんだがあり、「やりたいなら必要なお金は自分で稼ぎなさい、勉強もきちんとしなさい」という母との約束で、劇団に所属してからは毎朝新聞配達をして学校に行き、授業が終わったら稽古場に行き、写真部所属でもあったので、稽古がない時は暗室に行き、帰宅して1時に寝て、3時間程寝て新聞を配って、、、という生活を高校卒業まで続けました。なので通学中のバスの中では泥のように寝ている人、かつ、熊本でおそらく98%のシェア(推測)を誇る地元の新聞に劇団が度々取り上げられていたので、見知らぬ人から「なつきちゃ〜ん♪」と街で声をかけられるような、そんな高校時代。
劇団に所属する少し前からドラムをはじめ、劇団所属と同時期ぐらいに「なつきちゃん以外は皆キーボードでドラム叩ける人がいないから」という理由で小学校時代の同級生から誘われてバンドをはじめました。はじめてバンドで演奏した曲は『The End of Asia (YMO)』。
また、はじめた当初は風景やTVなんかを撮影していた写真も、知り合いが増えるに従って、地元の先輩バンドを撮るようになり、
当時はバンドを撮影する人が少なかったので、バンドの方には何かと喜ばれてました。伊東ミキオさんが所属されていた M-CAKEというバンドさんにはネガごと差し上げたんじゃなかったかな?(うろおぼえ)
劇団所属時の主たる活動履歴はこんな感じです。パフォーマンスブームを反映して、定期公演以外のイベントの仕事も多かった。(一部年度の記憶が曖昧な箇所あり。すみません)
□ 劇団夢桟敷・第11回公演「改訂版・飛行人」(1985.2)
□ HONDA DJ-1 発売記念イベント@福岡(1985.3.)
□ 櫻まつり(1985.4.)
□ 劇団夢桟敷・第12回公演「スマイリングドール」(1985.5)
ー 熊本演劇フェスティバル参加
□ 劇団夢桟敷・第13回公演「改訂版・スマイリングドール」(1985.5)
□ 熊本音楽連盟第13回定期公演「カルミナ・ブラーナ」(1985.7.5)ー 特別出演
□ 街頭パフォーマンス「」(1985.8.)ー 熊本市新屋敷エリアを劇場に見立てた市街劇
□ 熊本夢桟敷・第14回公演「炎の回廊」(1985.12)
□ 熊本夢桟敷・第15回公演【怪奇幻想四部作企画1】「黒猫がおんねん」(1986.1)
□ 熊本夢桟敷・第16回公演【怪奇幻想四部作企画?】「改訂版・四畳半夢の下張り」(1986.2)
□ 熊本夢桟敷・第17回公演【怪奇幻想四部作企画?】「改訂版・ピンク中毒」(1986.3)
□ 熊本夢桟敷・第18回公演【怪奇幻想四部作企画?】「空飛ぶ魚」(1986.4)
□ 熊本夢桟敷・第19回公演「三日月少女」(1986.7)
□ 熊本市主催の博覧際にてパフォーマンス(1986.8)
□ 山鹿灯籠まつり(1986.8.15)
ー 熊本演劇フェスティバル参加
ー くまもと市民際企画参加
□ 熊本夢桟敷・第20回公演「炎の回廊2・不眠症パラダイス」(1986.10〜12)
□ 阿蘇火まつり(1987.2)
□ 熊本夢桟敷・第21回公演「浪漫時代」(1987.5)
舞踏的な要素を多分に取り入れていた劇団なので、バレエ団と共演したり(『カルミナ・ブラーナ』)、
前衛芸術家さんのオブジェの中で公演を行ったり(『空飛ぶ魚』『三日月少女』)、
市街劇を行ったり、非常に先鋭的な活動を行っていたんじゃないかなーと思います。
そういえば熊本市の主催のイベントではスリラーみたいなダンス(!)も踊ったなぁ。
当初鍵盤2名、ドラム1名ではじめたバンドは、友達が友達を呼んで、気がついたら女子8名の大所帯になり、アコーディオンだ、クラリネットだ、バイオリンだと、それぞれが自分の楽器を持ち寄って、かなりユニークな形態になっていました。まわりから推されてドラムからボーカルに転向し、このころはYMOのコピーではなく、ショコラータやMELONや、水族館レーベル等から選曲してカバーしてました。ヤマハのコンテスト(予選)でベストパフォーマンスショーを頂いたりしたものの、私自身は元々誘われた人という事もあって、自分がやりたい音楽というよりは、メンバーみんなが映えるバンドだから高校卒業したら自分はフロントはやめてプロデューサー的な立場になろう、と、そんな事を考えていました。が、自主制作した卒業ライブがきっかけになって福岡の事務所に誘われる訳です。
写真はデモ録音を終えた後、その後のレコーディング計画を社長から説明された時に頂いた人選リスト。
実現していたらどんな音になっていたんでしょうねえ。
特に年功序列な福岡の環境では、まずは先輩をメジャーに送り出す事が命題になり、ようやく自分の活動体制が整った時にはその事務所はなくなってしまうのですが(涙)
〜つづく〜
JUGEMテーマ:音楽
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合間を見ながら連絡差し上げますのでどうぞよろしくお願いします。
はい。バングラディシュ難民コンサート!
Coxbazarにて
これはどこだったけかなぁ
JUGEMテーマ:音楽
■STYLUS & Groove(AUDIO Shop)
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メンバー紹介(その5)は、タイトル曲『Manna』に参加している福岡メンバーのご紹介です。
■Ken Ogushi (Bass)
中学生ながらギャラをもらってダンスパーティで演奏する程の実力のあった、同級生同士で結成したサンハウスのコピーバンドからベーシストしてのキャリアをスタート。更なるバンド活動を求めて大学進学するも環境が合わず、大学中退後、当時の福岡の音楽発信拠点のひとつであった福岡市東区香椎のレコード店に勤務し、東区の音楽コミュニティに加わる。所属していた99 1/2(ナインティナイン アンド ア ハーフ)というバンドは1985年頃より Dr.FeelgoodやThe Pirates などの楽曲からインスパイアされた スピード感のあるブルーズロックを演奏する、全国に先駆けた存在であった。家業のため一時バンド活動から離れるも、1988年には元ヒートウェーヴの増永尚喜氏率いるRUNTに加入。後、Natsuki率いるAREAに加入し、今回の『Manna』はその加入当時の音源となる。
■Jun Yamada (Guitar)
Natsuki 12inch Analog Single 『Manna』
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1971年 ラブ・アフェアー脱退〜モーガン結成以後、モット・ザ・フープルへの参加、クイーンのサポート等、世界有数のアーティスト達と共演するキーボーディストに。1985年より日本に拠点を移し、モット・ザ・フープルのトリビュートアルバムの企画・プロデュースやジョン・レノン楽曲のカバーアルバムリリース(オノ・ヨーコさんがゲスト参加)、日本のバンドのサポート、ダイハツ、CASIO、SONY、資生堂など、多くのCM音楽を手掛ける。
「寝ててもいいよ〜」とおっしゃるモーガンさんのアンビエントミュージックは癒し効果抜群で超・おすすめです!
最後に1968年のリアルMod モーガンさんの映像をどうぞー。
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]]>『Manna』の納品に宣伝に事務作業に、と奔走している内に、あれよあれよという間に2017年も終盤... お久しぶりの更新になりました🙇
Rev.fromDVL(橋本環奈) STARMARIE 杏里などアイドルやアーティスト、アニメや演劇等で楽曲提供。最近ではAIMI(ex.ステレオポニー)のライブサポートと、Co-Writingによる楽曲制作も行っている。音楽監督を担当した、2017年アジアデジタルアート大賞展FUKUOKA インタラクティブアート部門で優秀賞受賞。
Natsuki 12inch Analog Single 『Manna』
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メンバー紹介第一弾は、今回のシングルの音楽プロデューサーでもある、
板倉雅一さん(Wurlitzer Piano)です。
■板倉雅一 ITAKURA MASAKAZU
1976年に庄野真代のサポートバンドでプロデビュー。 以後、来生たかお、甲斐バンド、浜田省吾、佐野元春、尾崎豊、伊藤銀次、松山千春、大友康平等のライブやレコーディングに参加。
90年代からは、infix、久保田洋司、古賀森男等のプロデュースを手掛ける傍ら、俳優の葛山信吾とユニット「Bricks」を結成し、3枚のアルバムを発表する。
現在は女性ボーカルRarezaとのユニット「Merge」サックス奏者古村敏比古とのユニット「ズカルフ」のメンバーとして精力的に活動中。
福岡時代の私の英国人のお友達が熱烈なBad Fingerのファンだった事もあって、先日の鎌倉FMでは Bad Fingerの話でおおいに盛り上がりましたが、
上記に記載されたプロフィール以外にも、板さんは本当に沢山のお仕事をこなしていらっしゃって、レコーディングは大変スムーズに進みました。
24trアナログレコーダーが回っているのを見るのは初めて!な私達は、空き時間に写真のMTRを囲んでワイワイ♫
「わー回ってる回ってる♪」と大騒ぎしながら皆、動画や写真を撮っていたのでした。
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c/w曲『Season of the Witch』にご参加頂いた皆さんです。
左より
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]]>「少々長めのテキストが書けるツールないかなー」と、長らくいろいろなSNSをサーチしていたのですが、
巡って巡って、やっぱりblogの方が使い勝手が良く...振り出しに戻る的な感じ
ここであらためて、12インチシングル『Manna』の制作に携わってくださった皆様、陰ながらアドバイス&ご協力くださった皆様、応援くださった皆様に心から感謝申し上げます。てんやわんやのDIY作業で途中何度もめげそうになりましたが、なんとか完成〜リリースにこぎ着けました。近日中にまたあたらしいニュースをお伝えできると思うので、引き続きの応援とご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
直近で予定しているテキストは、『Manna』のテスト盤が届いた時のエピソードとか(これはホント書けるものなら6月中に書きたかった!)、12インチシングル『Manna』に関わってくださった方のご紹介とか(関わってくださったみなさまお待たせしてしまって本当にすみません!!!)、タイトル曲『Manna』に関する長いながーいエピソードとか、写真素材は結構いろいろあるのでダイジェストでお見せできるとよいかな、とか、そんな感じです。過去にUPしていたテキストの選りすぐりも、タイミングみながら掘り返そうと思ってます。
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